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2020/05/25 22:00
21世紀のダービー回顧 その3
10回目のサンデーサイレンス初年度産駒ワンツーフィニッシュが、
母系研究こそが、競馬の真髄!
と、わかり始めたような気がしてた私に突きつけた衝撃は、結構大きく、、、
「やっぱりサンデーサイレンスが、来るまでの極東の、日本にくる血統なんてのは、本番アメリカ、ヨーロッパの、保守本流がきたら、ひとたまりもないんだろうな」
って感じだった。積み上げた研究とか、感性みたきなもんは、
この恐るべき
ケンタッキーダービー馬(サンデーサイレンス)によって
完膚なきまでに
意味なきものに貶められる、無益なことなをだろうな〜
という感じがしてたな。
タヤスツヨシもジェニュインも、皐月賞のワンツーフィニッシュを見ても
決して強い
とは、思えなかったからね。外からは感じさせない何かがあるんだろうな〜、とはおぼろげながらに思ってはいたけどね
でも
気持ちを切り替えて
翌年はサンデーを中心に組み立てることにしたよ。
そんな折
天才
武豊
若き日の、誰も止められない武豊が
初のダービーは確実!
と、言われてた
ダンスインザダーク
父サンデーサイレンスにして
姉がオークス馬
ダンスパートナー
兄が
ダービー2着の
エアダブリン
で、武豊
何もかもが揃ってた。どれだけぶっちぎるかと信じて疑わなかった
けど、
物凄い脚でダンスインザダークを串刺しにしたのは
7番人気
フサイチコンコルド!
1号族L
ね(笑)。このときも、まだファミリーナンバーは調べてなかったような、気がするね。この後、翌年か?あるいは翌々年か調べた気がする。
このときは
「なんで?!」
という謎が残っただけだな、、、
で、翌年
この年が母系ファミリーナンバーに没入しはじめたターニングポイントだったと思う
勝ったのが
6番人気
サニーブライアン
この年はサイレンススズカも出てるんだけど、全然覚醒前で人気もあまりなかったし、なぜかサンデーの素質馬はダービーまでに花開かず、群雄割拠だったな
サニーブライアンは、皐月賞を制したものの、フロック視されてた。まあ、逃げ馬だったからね。マークされる立場だしね。わたしも
逃げ切りは厳しいかも、、、
と、思ってたけど、
まあ、強いこと、強いこと
で、この馬は
1号族
この頃は母系のファミリーナンバーまでは、見なくても
近親はチェックしてたからね
叔父とか、まあ、そのあたりにサニースワローを、見つけてね
そりゃあ
10年近く前とはいえ
22番人気の複勝レコード馬だからね、忘れないよ。
で、そこから何をどう調べたり、興味を、持ったのかわからないけど、サニーブライアン、サニースワローの母系
ファミリーナンバーに行き着いて、で、ブルースロウがナンバリングした経緯にはじめて接したような記憶があるなあ〜