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2020/11/08 07:09
予想のアプローチの難しさ
新聞の特定馬を取り上げたトピックスを見てても、、
いろんな予想家の特定馬のコメントを見てても、、、
どれも
「間違いなく好走する!」
というそれなりの説得力のある論調ばかりだ。それが軽く10頭を軽く越えている、、、
なぜ
「それなりに説得力」
という表現になるのか?
それなりに
とは、私は何を意図しているのか?
それは、こういうことだ。。
例えば、、、、
自分が普段、接している「ある仕事の同僚が極めて優秀」だとしよう。
で、あなたは、その人を尊敬もしており、いろんな場所で、その人のことを褒めまくっている。
まるで、この世の中で、もっとも優秀であるかのように、、、
このとき、多分、あなたはそういう気持ち、「その人がこの世で1番優秀」だと思ってるのかもしれない。客観的には、そうでないかも?と、頭の片隅ではわかりつつも、でも気持ち的には
そう思ってるのだ(この人がこの世で1番優秀)、、、
多分、、、
でも、そういう人は、ここかしこで、、、
5万といるわけで、、、
世界1優秀な人は
カウントレス!
なわけだ。
でも、おそらく世界レベルで誰が優秀か?というのを本気でランキングし始めれば、5万の序列をぴっちり、ひとりひとりランキングはできないだろうけど、少なくとも
上位者の
500人
位を特定することは不可能ではないだろう(上位1%)
要するに!
特定の馬を絶賛!
してる、そのコメントには、
比較しよう!
という試みが致命的に欠けていることが多い。
物事は
委細を気にせず、特定のポイントのみに着目して、一点突破すること
なりふりかまわず、脇目もふらずに、特定のことに集中することで、
成功することは、ままある
例えば、異性へのアタック、求愛行動などはその典型だろう。
何も見ない、その相手だけに集中、相手にも見させない(汗)、、、
それで、うまく行く例は多いかもしれない。
競馬新聞記者の多くに、私はそういうものを
よく見るような気がするのは気のせいだろうか?
ただ一頭のこと、、、
一頭の追いきりのこと
一頭の血統のこと
一頭のエピソード、、、
たった一頭のことしか書いてない、、、
私は
18頭立ての詳細プロファイリングをするときにいつも思うのだが、
「何かいいところを見つけてくれ」
と、言われれば、あたかも、その馬が
好走するかもしれない、、、
というコメントを書ける自信がある。どんな馬でも!だっ!
そして、人にそのことがあたかも起きるような気持ちにさせることもできる自信がある。
なぜか?
もちろん私の知見や文章力といった要素がないわけではないけれども、、、
それより何より
どの馬も、
「お?!」
という要素は、例え僅かであっても持っているのである。
つまり!
予想とは一頭の特徴を深く深く掘り下げていくことだけでは、だめで、、、
比較できる形にしていかないとならないのである。
それが難しいのである。