4046件のひとこと日記があります。
2021/04/06 00:27
桜花賞この35年、社台、ファミリーナンバーその2、、、
さてさて、、、
私の桜花賞
筆おろし(汗)
1987年が
社台ノーザンの出走馬が
ゼロ!
で、そこから
2,2,1,3,4頭と、、、
今の勢いからすると量は
著しく少ないし、
質も勝ち負けが出てるわけでもなく、、
「こんなにまで今とは違うのか?」
ってのが、わかると思う。
因みに少ないたがらも、社台が桜花賞まで駒を進めてきていたのは、
ノーザンテーストの娘
がメインであったが、それは社台の保守本流がノーザンテーストあったことから、当然である。
しかし、このあと
1993年以降(さっきのページ末尾年が1992年なので、その続き)、、
ノーザンテーストの娘が桜花賞を勝つことはなかった。
というよりも、もう桜花賞の出てくることもなかった。
1993年は、サンデー旋風がふきあれる直前に僅かな期間、輝いていた
トニービン産駒
の3歳クラシック初年度であったわけで、、、
たった1頭の
社台ノーザン勢力が
ベガ
だったのだ、、、
そして、この僅かに一頭の挑戦で、社台は、
約10年ぶりの
桜花賞制覇を達成する。
その10年ほど前の桜花賞とは、私の競馬筆おろし年1987年の
4年程前であり、私自身の目で見たわけではないが、勝ち馬の名は、
シャダイソフィア
ノーザンテーストの娘だ。
社台ファームが鳴り物入りで輸入した種牡馬ノーザンテーストの初めての
桜花賞馬
である。
シャダイソフィアの母もまた
社台ファームが海外に良血を求めてノーザンテースト輸入の僅かに後に購入されたアメリカリーディング大物種牡馬ボールドルーラーの血を持つ繁殖牝馬だ。
シャダイソフィアは素晴らしいサラブレッドであったようで、社台総帥の
吉田善哉
は、非常に気に入っていたと言うのは有名な話である。
この馬が
1983年に桜花賞を制した後は
1987年の
出走馬自体がゼロ
となる年を含めて、社台、ノーザンの生産馬が桜花賞に出てくるのは、
多くて4頭程度
というもので、大半が
1〜2頭という状況
今からは考えられない、、、
1993年は、ノーザンテーストに活力がなくなってきたこともあったのだろう。
たった1頭しか社台から出てない、、、
この10年ぶりの1頭
1983年のシャダイソフィア
1993年のベガ
この2頭の桜花賞馬の血統に共通することと、社台の繁殖牝馬の質には、大きな意味がある、、、
続きはまた、、