4046件のひとこと日記があります。
2021/04/12 18:48
1993〜1996年
1993年
よ〜く覚えてる
ビワハヤヒデ◎で、
絶対に2着以内は自信あって、
負けるとしたら、弥生賞での、あまりの鮮やかさで、豪快に快勝したウイニングチケットしかないと、
固く固く確信してた。
まあ、血統、厩舎、騎手完璧だったからね、、、
馬連でも
5倍程度だったから
1点じゃなかったかな、、、
それをね、
武豊に串刺しにされた
ま、そうでなくても、ウイニングは、4着だからだめだけどね、、、
当時武豊は、絶頂期のチョイ前だからさ、、、
おいおい
なんだよ〜コイツ
って感じでマークしてなかったなあ
まあ、1点じゃ
無理だよね
次の年は
ナリタブライアン
もうね、、、
どれだけぶっちぎるか?
2着なんて、わからんかったわ
予想がつまらくて、適当に数点買った。勝負もしなかった
まあ、取れた記憶あるけど、
元くらいかな、、
このときに馬連とか
ふざけるな!
と、思った
絶対にナリタブライアンが2着にならない確信ありまくりなのに、
なんでナリタブライアン2着込の馬券しかねえの?
って、、、
で、翌年
1995年
サンデーサイレンスデビュー年
ジェニュイン
タヤスツヨシ
のサンデーワンツー
でもね、
この年は
皐月だけじゃなくて、競馬自体やってなかったんだな、
多分間違いなく、
だからスキップするよ
その翌年
◎は2着のロイヤルタッチ
始めてG1取った桜花賞の
マックスビューティの厩舎
伊藤雄二
その後も、前年のウイニングチケットのダービーとか、
今の藤沢さんとか、角居さんみたいな圧倒的な名門だったしね
ロイヤルタッチは、前年ブレイクのサンデーだし、
あと母系が名門
クレイグダーロッチ
で、ぼくの競馬デビュー年に毎日王冠、天皇秋で破格の日本レコードでぶっちぎった
サクラユタカオー
それから
奇跡の名馬(こらも競馬デビュー翌年に皐月賞勝った後、故障でダービー回避して、菊花ぶっつげで勝っちゃった名馬)
サクラスターオー
それから
ウイニングチケット
と、同一牝系だからね
血統とか、母系とか
知ったかぶりで語ることに悦にいってた青い時代たがら
そんなことだけで
「ロイヤルタッチは3冠馬になる!」
とか、吹きまくってたな(汗)
恥ずかしいね
青い、、、
まあ、相手に安めの
サンデー
イシノサンデーが入って
9倍だからね
馬連
それ1点でもないし、ちょい浮きかな
この年までの予想も
結局、マスコミの延長上に
厩舎がどうの、血統母系が、どうのと、、、
まあ、それもマスコミの範疇かな、、
今更振り返って
反省するような時代じゃないね、、
今とは全然違うもん、、、