166件のひとこと日記があります。
2013/12/23 20:27
最強馬論なんて好きじゃない
歴史的な名馬が誕生するたびに必ず出てくる議論。
時代の違う名馬を比べて決めようとする話。
「果たしてどっちが強いのか?」
過去の名馬が”もし一堂に会したら…”と想像するのは楽しいものであるし、
夢のある話でもある。
けれども、
そこに細かいデータや数値などを使って説き伏せようとする行為は必要ないと思う。
もしそれをデータで証明して見せたところで果たしてどうなるのか…
それは相手の輝きを奪うことに他ならないのではないだろうか。
そんな王者には何の魅力もない。
オルフェーヴルの有馬記念を目の当たりにし、
人々はディープインパクトの輝きを思い出す。
ディープインパクトの凄さを知る人は、
オルフェーヴルの凄さを改めて思う。
互いが互いを輝かせ、強い印象と感動を後世に残し続けてくれる。
ミスターシービーがその破天荒なレース振りで3冠を手中に収めたその翌年、
シンボリルドルフが皇帝と称される走りで同じく3冠を手にした。
3冠対決…
おそらくそんな対決が現実に見られるというのは、
夢のような、心躍らせるものであったと思う。
結果が出るまでは…
後には何が残っただろう
おそらくシービーのファンたちは苦しかったに違いない。
もしかしたら競馬が嫌いになったかもしれない。
ダービーポジションを無視した夢のある走りが
僅か一年後にはどう思われていたのかを想像すると非常に切ない。
(それでもシービーの魅力を語り継ぐことのできる人々は素晴らしいと思う)
またルドルフのファンも辛かったに違いない。
機械的…無駄の排除…省エネ…
ルドルフの本意ではないだろう。
(ルドルフはもっと強く美しかった筈)
夢は夢のままで…
それが一番良いのかもしれない…
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旅はまだ終わらないさんがいいね!と言っています。
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ロジックさん
>すみれさん
コメントありがとうございます。
こういった議論にはレースで負けたことに対するケチが付き物なんですが、むしろ負けることで馬も人も強くなるし、だからこそ感動も愛着も生まれます。
結果に目を奪われるだけで、その馬の走りや頑張りを見ていないような気がするんですよね。
その時々にはこんな素敵な馬がいたんだよ、こんな楽しい馬がいたんだよ、と語っていたいですね☆ -
すみれさん
誰だって一番がいいのはわかるけど
ほんとこのテの論争には辟易してます。
自分の好きな馬が最強と思うのは自由だし、ケチをつける気もないけど、
それを別の馬を推す人と議論になるのを見ていると‥
やれやれ、って感じですね。
「最強」って言葉が好きな人って他人の意見を受け入れませんよね。(^_^;)
相手の意見も「なるほど」ときちんと受け入れるだけで、
論争・ケンカにはならないと思いますけどね。
ほんと見てるだけで疲れちゃいます。
結論なんて一生出やしないんだから、議論するだけ無駄。
心の中で思ってりゃいいんですよ。
まぁ、自分の好きな馬を他人にも絶賛してほしいが故の心理なんでしょうけどね。
強いと言われる馬は、みんな素晴らしいです。
それは間違いない♪ -
ロジックさん
>ルージュの夢さん
いいね!&コメントありがとうございます。
そうなんですよね。
その時その時に素晴らしいと思える価値観は違う筈であって、だからこそ強く印象や感動が残ると思うんです。
思い出を貶める必要はなくて、むしろどちらも素晴らしかったんだと語り継いでいきたいですよね☆ -
ルージュの夢さん
私も、このての論争には意味がないと思っています。
産まれて、速く走る事を覚える過程も違えば、恐らく時代時代で食べる物も違う。良いと思われていた常識が覆されることも。
素直に、その時を駆け抜けたスターホースを讃える。
これだけでいいと思います。 -
ルージュの夢さんがいいね!と言っています。