284件のひとこと日記があります。
2016/10/23 10:25
最初のクラシック
買い目もロクに決まらぬまま当日を迎えてしまった。
第77回菊花賞の話である。
忙しさにかまけて、予想を怠るとは競馬好きの名折れ(アホか)ではあるが。
綿密に行った予想ほど、まともに当たった試しがないのがこれまた情けない。
少し話は変るが菊花賞に無関係の話では無い。
これは意外な事の様に思われるのだが。
近代競馬発祥の地イギリスで三冠、クラシックレースで最初に誕生したのは菊花賞のモデルとなったセントレジャーステークスらしい。
ダービーではない。
当時の競走馬は7歳でピークを迎えると考えられており、馬体の完成する5歳まではレースに出されることもなかった。
当時のレースと言えば競馬愛好家−王族や貴族や資産家―が銘々にサークルを作ってそこで行われることが多かったようだが。
レース内容と言えば4マイルつまり6400mを1レースとし、それを複数回行うヒート競争が主流であったらしい。
(同じ馬が2回勝つと優勝。もちろんルールはそのサークルやレース毎に違っただろうが)
現代人からすると、過酷もここに極まれりという感じだが。
しかし、当時の競馬愛好家の中にはこういったレースを冗長に感じスリル、テンポを求める人間もいた。
1776年セントレジャー大佐によって3歳馬による2マイル(3200m)による一発勝負のレースが提案される(その後2937mに短縮)。
これは当時画期的なアイデアとされ、3年後に発案者の名前を取られイギリスにおける重要なレースの一つとして地位を築いていく。
菊花賞の元ネタが今までレースを走る年齢でないとされた幼駒による「短距離戦」だったというのは。
何と言うか隔世の感である。まぁ実際3世紀も前の話であるのだが。
その後このセントレジャーに刺激を受けた2人の男、バンベリー卿とダービー卿が。
1779年三歳牝馬限定のさらに距離を短縮した1マイル半のレースを創立する。
所有する館にちなんで名前はオークス。
ダービーより先にオークスが創設されていたというのもこれまた意外な気がする。
このレースの祝勝会で3歳馬限定の牡牝混合戦の提案がなされる。
レース名を決めるにあたって行われた、2人の男の賭けはあまりにも有名だ。
さて、菊花賞の話に戻ろう。
先達セントレジャー賞創設より240年。
大昔の競馬狂…ゴホンっ競馬好き達に敬意を表しつつ、2−4−10のワイドボックスでも勝ってみようか。
などと考えながら淀に向かう列車に揺られている。
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メーカーズマークさん
引いた鬣が金髪だった時は思わずガッツポーズ(笑)
毎日持ち歩いてますが、なくしたり劣化しても嫌なので、そろそろ大事にしまっておきます(笑) -
メーカーズマークさん
おるたんさんこんばんは。
人多かったです(苦笑)
ただ今回はパドック見たかったので、ゴール前には行かず。
レースは最終コーナーから前の芝生でのんびりと見てました。
パドックはもう凄い人で、正直まともな写真はほとんど撮れませんでした。
膨大な数のクズ写真に、頭をクラクラさせながら選別してます。
デジタルカメラの発明者に感謝ですね(笑)
フィルムだとお金がいくらあっても足らない…。
そうですね、思いっきり予想外していた所で。
コウエイタケル、レインボーラインの2頭のステイ産駒に助けてもらった感があったので。
ご利益あったのかも。でもそれなら素直に馬券当たる方がいい(笑)
鬣は20頭から居る社台SSの種牡馬の中からだったので、ここにいる馬なら誰でも嬉しいと思って引きました。
栗毛はオルしかいないと思っていたので(実際はフレンチデピュティ、ゴールドアリュールなども栗毛)
引いた鬣が金髪だった -
メーカーズマークさん
クラッシックの創設はサラブレッドの代替わりを早め、種としての代謝を早めることに多大な貢献をしました。
また当時の馬の平均寿命がいくつであったはわかりませんが、獣医学も未発達な中で。
繁殖入りする馬の年齢が早まった事は、失われかねなかった優秀な血の保全につながった事と思います。
何よりダービー始めクラシック競争にに繁殖馬の選定という役割を持たせた事は。
それまで曖昧だったレースと繁殖(馬産)のつながりを明確にしました。
個人的にサラブレッドが馬として最速の品種として地位を獲得するターニングポイントはクラシックの創設。
つまりドンカスターにあったと思っています。
だから皆セントレジャーに出ようよ!ニジンスキーの事なんて忘れてさ!
オブライエン調教師はセントレジャー結構好きですよね(笑) -
メーカーズマークさん
怪人さんこんばんは。
グランドナショナルもそう(6歳以上)ですよね。
あんまり考えた事なかったですが、過酷な障害レース=成馬に走らせるという考えが残っているのか…。
ヒート競争の馬券、想像してみると楽しいですね。
優勝馬を当てる馬券と各レース毎の馬券。
それ以外だと今地方でやってるトリプル馬単みたいな感じでしょうか?
当時の様な1日に複数回、同じ馬を走らせる形式は今はさすがに難しいと思うので。
サマーシリーズみたいな形にして、ポイント制か複数勝ちすると優勝という形になるかと思います。
クラッシックの創設はサラブレッドの代替わりを早め、種としての代謝を早めることに多大な貢献をしました。
また当時の馬の平均寿命がいくつであったはわかりませんが、獣医学も未発達な中で。
繁殖入りする馬の年齢が早まった事は、失われかねなかった優秀な血の保全につながった事と思います。
何よりダービー始めクラシッ -
おるたんさん
メイカーズさん、こんばんは(^^)
今日は現地観戦行かれたんですね〜
お疲れ様でした。
人多かったですか?
現地は迫力あって楽しいでしょうね〜
ためになる興味深いお話もありがとうございます♪
ご挨拶の方も、お答え下さってありがとうございました(^^)
1万円お買い物なら、好きな馬指名できて、5千円ならくじで抽選
だったんですね〜
それをオルフェの鬣当てられるとは、メイカーズさんも
持ってますね(^o^)
鬣って金運のお守りではなかったでしたっけ?
楽しみですね(^^) -
東京競馬場の怪人さん
たぶん、クラシックが整備される前の名残だと思いますが、障害競走の大きなレースだと5歳以上の出走条件がありますよね。例えば、チェルトナムゴールドカップですね。
しかし現代でヒート競争が、競馬の主流なら馬券をどう売るんでしょうね?この話はブックメーカーの誕生に繋がっていくのですが・・・
最近の欧州では、競馬の主流が中距離にシフトしているので、セントレジャーを勝ったとか、三冠馬誕生は、あまり興味を持たれないようですね。個人的には長距離レースが好きなので、頑張れセントレジャーなんです。(それとロイヤルアスコットのゴールドカップも。) -
おるたんさんがいいね!と言っています。
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東京競馬場の怪人さんがいいね!と言っています。
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メーカーズマークさん
みっちゃんさんこんばんは。
コイントスで決めたそうです。
もしコインの表裏が逆だったら、オルフェーヴルは第78回日本バンベリー馬になっていたと思います。
…うーん(苦笑)
そうなったらそうなったで
「各国の最高峰のレースがダービーなんて変な名前にならなくて良かった」
と話していたのかもしれませんが(笑)
ダービーは設立当初1マイルの直線レースだったそうです。
色々変遷があって面白いです。
同じくですが、いま思えばレインボーラインの単複一本に絞るか。
池江調教師をもっと信用するべきでした。
収支的には何とか救われましたが、今日は完敗です。悔しい。 -
みっちゃんさんがいいね!と言っています。