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12件のひとこと日記があります。

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2011/04/01 06:53

我れ思う ゆえに我あり

思いとは何か。思考は人間だけに与えられたもの。夢を描きそれを掴むため思い巡らし達成への手段を掴む。ある意味での変化、発展。木も牛も石も環境適用は出来るが変化は出来ない。木は自ら葉っぱを落とす事が出来るか?牛は自ら乳の量を変える事が出来るか?石は自らの表面を磨ぐ事が出来るか?変化の主体は我(人間)である。故に我あり。動植物や物質は本質そのものである。人間は本質を超える存在である。いわゆる実存。

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  • まささん

    >>牛ダスさん

    Thank you!

    2011/04/01 18:06 ブロック

  • 牛ダスさん

    すみませんm(__)m。
    悪気はないんですが、
    スイッチが
    入っちゃったようです。

    先程のコメントで
    ‘科学的事象’
    というのは、
    ‘科学的根拠’
    の誤りです。
    訂正致します。

    2011/04/01 08:55 ブロック

  • 牛ダスさん

    思いとは、
    実現化を促す
    内的動作である。
    存在する
    動物、昆虫には
    少なくとも
    生命維持、危機回避の
    能力がある。
    これは、
    故に我あり、である。
    人間の
    能力、進化において
    他の生物よりも
    突出しているのは、
    ‘思う’能力である。
    その能力故に、
    天才と言われる
    能力突出者がおり、
    もっと判りやすく
    言えば、
    ネガティブな
    ‘思い’は
    ネガティブな
    結果を、
    クリエイティブな
    ‘思い’は、
    クリエイティブな
    結果を
    もたらしやすい。
    それは、‘思い’が
    ストレスであり、
    それを回避(実現)
    しようとする
    人間の
    本能的な行動だから
    である。

    しかしながら、
    人間は
    その能力が突出している
    だけであり、
    他の生物との
    相対において
    何等特別な存在ではない。

    何故なら
    他の生物も
    人間にはない
    突出した能力を
    持っているからである。

    地球上に存在する
    生命体は、
    異なる能力を持つ
    生命の多様化により
    様々に進化し、
    特定種の生命体の
    絶滅時においても、
    他の種による
    「生存」という形で、
    大規模な
    生命維持プログラムが
    発動されるように
    作られている。
    かつて、
    爬虫類が支配する世界が
    ひとつの隕石で
    終息しても、
    他の生命体により、
    生命が
    維持されているように。

    人間は決して、
    絶対的且つ、
    至高な存在ではない。
    人間は
    他の生物を糧として
    生き残ることが
    許されている存在なのだ。
    生かされているのだ。

    思い違いをしては
    いけない。
    ニーチェは
    人間の
    原点及び考え方を
    哲学的に
    説いているのだ。
    つまり、
    英語圏における
    人間の存在を示す
    代名詞、
    「わたし」と、
    「あなた」が
    人間の哲学的原点である、
    と説いているのだ。

    彼はこうも言っている。
    「神は死んだ。」と。

    この言葉に
    象徴されるように
    既に、
    宗教、哲学、思想
    というものは、
    科学的事象を無視して
    成立し得なくなっている。
    視界を
    もっと、
    もっと、
    広く持ちましょう。

    そうすれば
    あなたの世界も
    時すらも超えて、
    あらゆる方向に
    広がるでしょう。

    2011/04/01 08:41 ブロック