27件のひとこと日記があります。
2018/03/11 21:20
東日本大震災から7年
阪神大震災のときは広島市内の自宅で寝ていたけんだど、14Fなのであまりにも揺れが大きくて恐ろしく、ニョーボや子供を安心させようとしたが抱き合うしか出来なかった。
その朝TVで見た「爆撃でも受けたんか」な衝撃の光景にナニも言えませんでした。
東日本大震災のときは東京の本社で会議中、まさに自分が発表してる最中でした。
揺れては収まり、揺れては収まりの繰り返し。
その内に揺れは強くなり会議は中止、しかしあまりに続く揺れに「船酔い」のような気持ち悪さを覚えました。
会議場を出ましたが、多くの方々が外に出ていました。
外壁が少し崩れ落ちている建物もありましたが、見た感じケガ人はなかったようです。
その日の飛行機、新幹線とももちろんストップ。宿もとれる筈はなく、本社で寝た次第です。
会社の東京人は自宅が心配なので、遠くてもみな歩いて帰りました。
自分たち地方組は、近所のCVS・スーパーに買い出しに行きました。
弁当・おにぎり・パン・惣菜はほとんどありませんが、お酒や乾き物はいくらでもありました。
(災害直後はこうなるんだ、と学習しました)
いま思えば不謹慎ですが、会社でTVを観ながら皆で呑みました。
流される多くの車、建物などを見て「映画じゃないのか」と本当に信じられませんでした。
もう記憶が交錯して見た時期がよく分からないのですが、迫り来る水流に逃げ切れないであろう老人が映っているなど、衝撃とかではすまない映像も多々ありましたね。
原発や、それに伴う風評被害の問題も、現地にいなければ分からないこともあります。
でも「死の淵を見た男」の吉田所長たちのように、ニッポン人には極めつけの凄さがある。
今日は沢山の震災特集が組まれているようですが、メディアにはキチンと正しい姿勢でコクミンに報道してくれることを望みます。
お亡くなりになられた方々には、謹んで哀悼の意を表します。
被害に遭われた方々、遠くから無責任な発言ですが頑張ってください。
-
イリーガルさん
親方
わお!
親方、苦労されてますねー。
でもお母さまもご無事ですよね。
(梅干、作ってられたから)
不幸中の幸いですね。
親孝行してあげてください。 -
★夜明け☆さん
あまり知られてないが…
能登沖地震で実家が半壊しました。
当時は母が一人で住まい
兄弟3人で
なんとか実家を建て直しました。
他人事とは
思えないよね… -
イリーガルさん
あはは!
個人的に「菅」さんは結構イイ感じと思いますけどね。
どうしても選ばなければならないのなら、ソーリの後任はこの人です。
「カンさん」ならマイ町内の先生の方が人物です。 -
レイさん
管さん見ると「生協の班長さん」位の器ではない?
班長さんごめんなさい\(__) -
イリーガルさん
親方
いいね!ありがとうございます。 -
★夜明け☆さんがいいね!と言っています。
-
イリーガルさん
レイさん
コメントありがとうございます。
当時の職場の緊張感は凄かったでしょうね。
でも実際に被害を受けた方の痛みには、確かに些細なことなのかも。
リューショーさんの本、以前読みましたが
・シロートのくせにプロを怒鳴りつけ指図
・その指図を殺さない用に動く現場
まじめにハラたちます。
その辺のオっさんであれば良い人なんでしょうけど、政界に入ったのが間違いでした。
てか、今もいるのだから支持されてるのか…。 -
レイさん
おはようございます。
東日本大震災は直接被害を受けたかたは勿論、日本中の方が間接的に関わり、世界中の人が注目しましたね。
私は職場の休憩室の臨時ニュースで知りました。
そして瞬時に震災対応モードに仕事が変更になり、まるで手探り状態となり神経を尖らせ困り果てました。
実際に被害を受けた方からみれば些細な事です。
そして管政権であった事。
踊らされた日本人の選択を哀しみました。 -
イリーガルさん
昼行灯の主水さん
コメントありがとうございます。
あ、消防団にも属されてるんですね。
しかも奥様の実家がそんな…。
作業はほんと、大変だったでしょうね。
地震・津波の被害予想地域は多いです。
ニッポンは、この経験を活かさねばなりませんね。 -
昼行灯の主水さん
今晩は♪
あの日にそれぞれに
色々な経験をなさったのですねぇ
私は自宅の物置で大工仕事をしていて、長い揺れの中で「これ以上 強くなったら 家が潰れる」と杉花粉でモヤがかかった自宅をみてました …次にこの地震が東京からか東北からか…車のラジオから「東北、津波警報 5メートル(聞いたことのない高さ) 」 日本が潰れ無いが、ただ事ではない……水が止まるから汲んでおくように言って…消防団員として管内見廻り…崖崩れで通行止めなど有ったが怪我人無し…最後の嫁の実家が土砂が家の中まで…一週間 排土と大工仕事でした
東北の震災経験談を東南海の方々に生かして欲しいと思っています。