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2014/11/29 19:39
チームオーダー事件
競馬ファンでこの事件を知っている方はそれなりにいると思うが、この事件は競馬ではまずお目にかかれないと思う。俺はこれをテレビのオンタイムで観ていたからね。全世界に中継されるF1のレースでここまで非情かつ大胆に平気でこれを実行するというのは今までなかったから。
それは2002年のF1第6戦オーストリアGPでのこと。
そう、ルーベンス・バリチェロがミハエル・シューマッハに勝利を譲ったあのレースだ。
決勝レースでは佐藤琢磨がアクシデントに見舞われる出来事もあったな。
終始バリチェロがレースを支配、それをミハエル・シューマッハが追うという展開に。そして迎えたファイナルラップ(73週目)。2人のマシンはかなり縮まったがバリチェロがトップのままでチェッカーを受けるかと思いきや・・・
フェラーリの指揮官が下したのはかつてない非情なものだった。
それが前述の「ミハエルに勝利を譲れ」ということ。
当時のフェラーリではシューマッハ優先主義が蔓延っていた。とはいえ、あそこまで非情なことをやるものだろうか?と思った。実際にレース後の表彰式におけるブーイングは強烈だったわけで。
例のチームオーダー事件から1ヶ月後にモータースポーツ評議会で審議されて、ポイントランキングの剥奪等の事態には至らなかったが、100万ドルの罰金が課せられた。ただ、フェラーリのチームオーダーはその4ヶ月後のアメリカGPでも実行され、今度はシューマッハがバリチェロに勝利を譲るということになったわけだ。
そしてシューマッハはあのオーストリアGPの譲られた勝利のおかげで、シーズン中盤のフランスGPで優勝して史上最短でドライバーズタイトルを早々に決めてしまった。まぁ02年はフェラーリの1強が際立っていたな。
フェラーリ黄金期の体制は、チーム監督がFIA(国際自動車連盟)の現会長のジャン・ドッド、作戦担当はがロス・ブラウン、マシンデザインはがロリー・バーン。またブリヂストンがフェラーリにタイヤを供給していた。
(ブリヂストンとミシュランのタイヤウォーズがあった頃が非常に懐かしい)
んなわけで、フェラーリのチームオーダー事件が翌年から現在までのレギュレーション大変革に繋がったことは皮肉である。
ちなみにシューマッハは1997年シーズン最終戦におけるジャック・ビルヌーヴと接触した件でモータースポーツ評議会で審議されて、ポイントランキング剥奪の憂き目にあっている。