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2015/07/09 09:15
神武の来た道(1)〜鳴門海峡
鳴門の渦潮で有名な鳴門海峡。淡路島南部と四国の海峡。逆に淡路島北部と本州側の海峡は明石海峡。
大鳴門橋と明石海峡大橋。神武天皇もあの世で驚いているに違いない。
鳴門海峡は日本国内最速の潮流=時速20kmにもなるという。とにかく危険な水域である。
「古事記」にみられる「速吸の戸」とは、この鳴門海峡だとみて異論はないだろう。明石海峡のはずはない。では、神武軍(正確には神武の兄たちの軍)はなぜ明石海峡を進軍しなかったのか?
当然ながら、そちらは地元軍も準備万端、待ち構えているから通れなかった。陸地はなおさら。だから海軍であった。義経ならぬ神武軍も奇策で、鳴門海峡越えを図ったのだ。
流れが速いから、その余勢で大阪湾には一気に迫った。
ただ、その後は、惨敗!大将である神武の兄は、死んでしまい、ほかの兄たちも戦死する。
なんともリアルな描写であり、とても作り話ではなかろう。
ところが、これが正史「日本書記」では書き換えられている。鳴門海峡ではなくて、豊予海峡に。机上の空論であろう。
このように、古事記と日本書記では、かなりの相違点があるのだが、当然ながら、古事記が原本で、日本書記が書き換えだろう。キリスト教の聖書でも、後世の書き換えがかなりある。
神武が天皇でなかったのは当然だが、最初にヤマト地方を侵略した戦争の逸話が後世まで伝えられていた事実は間違いないだろう。
メイショウナルトが七夕賞を勝ったのも、「鳴門大橋」のイメージがあるせいではないか?
七夕夜には、天の川に「橋」がかかる。溝端=溝「橋」の暗示からも、ナルトの連覇が濃厚か?