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2015/07/21 18:54
不破道を塞げ!
昨日全英オープンゴルフの合間に、たまたま回したチャンネルで、歴史名所の番組があってハットした。
有名な関ヶ原は「岐阜県不破郡関ヶ原町」にあるんだと。
「不破道を塞(ふさ)げ!」は有名な天武天皇(大海人皇子)が天下を取ったときのセリフ。
正史日本書記では、「兄とされる天智天皇」の息子を殺して、天武が天下を取ったわけだが、この地が天下分け目の戦いになったのは偶然なのか?
番組に出た地元の研究家の話ですと、偶然ではなく家康は「天武天皇の故事」のあやかって、同じ場所に本陣を配置したといっていました。
だが、不思議なことに毎年恒例だと思っていた夏の「関ヶ原S]は、毎年あるわけじゃないんですなぁ〜。今年の番組には載っていない!昨年もなかった。
メイショウナルトのニューダイナスティが2・1着となったレースがなんで、毎年開催されないのか?
「天下の関ヶ原」なる名称を使う特別レースがこんなんでいいのか?
ちなみに、ルンペンだった天武天皇はわずか40数名で不破道をふさいで大友皇子(天智の息子)をとらえて憤死させたという。天智の死からあっというまの形成逆転は、秀吉の中国大返しと同じぐらい「ウソくさい」。
日本書記はこの戦いの部分だけを日記のごとく詳しくつづっているが、馬の専門家が分析したとこら明らかに無理ということが証明されている。現在のサラブレッドでも不可能な移動速度(笑)
つまり、これまた倭国(九州)の歴史書からパクった記述だろう。天武が詣でた吉野は佐賀県の吉野ケ里で、百済を滅ぼした唐の進駐軍がいたところだろう。
いったい天武天皇とは何者なのか?
天下を取る前の彼の記述はいっさいない。まあ、それは先代の天智天皇(中大兄皇子)も似たようなんもんだから、真実は分からない。
このある日のレースに「別の日の別の場所のレースの出来事を」再現させるという手法は、現在の競馬会に非常に似ているなぁ〜。