3221件のひとこと日記があります。
2016/06/10 10:24
エプソムカップの歴史
もともとこの時期(6月第2週)にあったエプソムカップ。3回東京8日目が定位置の「ハンデ戦」であった。
わたしの記憶が確かならば・・・(笑)、6月第1周は「残念ダービー」のニュージーランドトロフィー(4歳ステークス)だった。ただし、当然ながら「春番組」であった。
なお宝塚記念は、エプソムカップの前週、6月第1週がグレード制発足当時の定位置であった。この後、昭和62年にはなぜか6月第2週に変更された。さらに、H8年には7月の七夕開催に一旦移行したものの4年間のみで、H12年=国際化5ケ年計画スタート年には、今の6月第4週に移動、H24年からは正式に「春競馬最終日」となっている。
一方、エプソムカップも変遷は紆余曲折あり。
H3年には7日目土曜日に強制移住を強いられ、H8年には別定化するとともに、ダービー前日の3回東京5日に2度目の疎開。(この時期、ダービーは6月開催だった)
つまり、H8年〜11年の4年間、ダービーの6月化と宝塚記念の7月化は、シンクロしていた。この4年間の番組改編の意図は、来るH12年=国際化計画スタートのための「地ならし」作業であったと類推できる。
よって、宝塚記念が今の時期=6月第4週に移ったH24年、エプソムカップも今の時期=6月第2週に舞い戻ってきた。
さて、エプソムは今年第33回のゾロ目回数戦であるが、11年前(H17年)の第22回ゾロ目回数戦はなんと1=1のゾロ目決着(枠連5150円)という珍現象。
1枠1番スズノマーチ
2番グランリーオ
タカモト式なら「スズ、ハーバー」馬名のゾロ目狙いってところだが、番組理論からは、これが「国際化初年度」だったからという推測ができる。同時に「3連単発売」初回でもあった。
古馬重賞については、確か何段階にわけて国際化がすすめられた。一挙に同じ年度に国際化となったわけではない。つまり、この年=H17年には、新基準=国際化レース時代のエプソムカップにふさわしい「正規1着馬」の戦歴を保持する馬がいなかった、あるいは出走させなかったということだろう。
驚くことに、翌年H18年の第23回も7=7ゾロ目(枠連3440円、馬連5690円)。
さて、ゾロ目はH11年の第16回にも見て取れる。
6=6(枠連23500円、馬連37760円)
11番人気のアメリカンボスが1着、万馬券となった。これが、「最後の5日目土曜日」開催だったからだろう。
なお、アメリカンボスは翌年の第17回=8日目舞い戻り初年も連覇しているところがおもしろい。なお、この枠は1・2番人気が同居で2年連続ゾロ目をさそうとう「ガセ」であったね。6枠2頭は1・4着であった(笑)
ついでだから、22年前の第11回ゾロ目開催も見てみた。
枠3−2−8。
3・12・8人気という波乱決着。
過去2回のゾロ目開催は荒れているぞ!!
楽しみなフルゲート18頭戦。
-
降龍十八章さん
指名打者さん、なかちゃん、ありがとうございます。
-
なかちゃんNo.99さんがいいね!と言っています。
-
指名打者さんがいいね!と言っています。