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2014/10/14 08:53
古代史ロマン
京都に因んで、日本史の話を。
神武天皇はヒムカから奈良にやってきた。途中、広島とかいろんなところに居候して、最後にいよいよ敵地である近畿に乗り込んできたが、散々な目にあって兄上たちは壮烈な戦士。末っ子みたいな神武天皇が旗頭になったが、さすがに今度は正面攻撃はさけてゲリラ戦で紀伊の方から侵入していった。途中、地元勢の一部が寝返ったおかげでゲリラは成功、奈良の一部を占拠して大和朝廷の源となった。
つまり、宴会といつわってのだまし討ちですわ。でも、ちゃんと正直に歴史に残したのは古代中国の歴史書に似ている。
面白いのはのちに、ヤマトタケルもクマソにいって女性に化けて酒を注ぎ、その隙に叩き殺すという暗殺をやっている点です。つまり、昔の大和朝廷は日本全土支配どころか、武力的には広島カープのような存在だったわけです。
では当時の中心王朝=ヒムカの地はどこだったか?京都大学は大和朝廷のおひざ元ですから、大昔から大和朝廷が日本全土を収めていたという説を唱える。だから奈良=大和一本やり。
一方、ライバルの東大は、そんな呪縛がないから九州が元祖朝廷だというわけです。
もっともヒムカといっても宮崎でなくて、各所にヒムカはあるから、一番有力なのは北九州のヒムカです。大宰府が今も残っているから、ここが倭国の皇帝の本拠地だったと考えるのが通常の理性でしょう。
さて、競馬会の神武天皇(武豊)と藤原師(藤原氏)コンビはどうなりますか?奈良でなくて京都だからなぁ〜。
因みに倭国の暦・元号には「兄弟」ってのがあるんだなぁ〜。(おもに仏教用語が多い)