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2014/12/15 10:36
朝日杯の歴史(2)
前年の新規出発戦(第45回)は三冠馬ナリブーを産んだ。
H6年第46回はフジキセキ。初のサンデーサイレンス産駒。これが後の日本競馬の血統を根底から覆す一大サイアーになるとは、まったく想像だにしなかったね。
しかし、キセキは奇跡をおこせずに弥生賞を最後に引退した。だが、かわりにSS産駒のタヤスツヨシとジェニュインが皐月賞・ダービー1・2着。
しかし、このフジキセキの悲しい引退が契機になったのか?
これ以降の朝日杯は冬の時代を迎える。
バブルガムフェロー、マイネルマックス(初のFG16頭戦)、6=6ゾロ目だったグラスワンダー(マル外)、アドマイヤコジーン、
この年は5=5ゾロ目決着!
翌年H11年初のワイド発売となった第51回はなんとマル外のエイシンプレストンでまたも5=5ゾロ目決着!(二度目のFG戦)
西暦が節目の二〇〇〇年となり、3度目のFG戦となったメジロベイリーは10番人気で単勝4050円。
いったいどうしたことだろう、FGや多頭数が常習化した当時に、クラシックを制覇する馬は朝日杯から出現しなくなった。
そして、本来のマル混戦にふさわしく、マル外馬のための賞金レースの様相を呈し来たのだった。
以下、アドマイヤドン、エイシンチャンプとつづいて第54回閉幕となった。