339件のひとこと日記があります。
2012/05/17 17:30
群から置いていかれそうになって必死に助けを求めているが…
ひところ「群衆の中の孤独」と言う言葉がよく使われた者でした。
1950年代から60年代初めにかけてだったと思います。
しかし、当時はまだ我が家に帰れば家族の繋がりがありました。
それが今は、家族の絆もなくなりかけて…、
血の繋がった他人と言った言葉が登場するようになりました。
仏教で言う罪は、人間としてなすべき事をしない事。
人間の道に外れている事。
それを罪とします。
法律を犯す事だけが罪ではないのです。
繋がり合い、支え合って生きている一人の人間の…、
苦しみを、放置しておくのも一つの罪、と言う事になります。
あなた方の中に、百匹の羊を持っている人がいて…、
その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して…、
見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。
と言う『聖書』の言葉があります。
たった一匹の為に懸命に探し回る牧童の姿を見て…、
このような牧童なら、安心してどこまでも付いていけると…、
九十九匹の羊達が、思ってくれたら、こんな素晴らしい事はありません。
宗教の世界でも同じです。
一人の悩みを我が悩みとして、共に泣き、共に苦しんでこそ…、
多くの人達が、信頼してついてきてくれるのではないでしょうか。
今、いじめが全国的に広がり、誰にも助けを求める事ができず…、
「もう死ぬしかない」と、小さな胸の中で考え続ける子供達が…、
沢山いる事を思うと、あまりにも可哀想です。
一番感じやすい年齢の時に、見捨てられる少年達がいるのです。
群れから置いていかれそうになって必死に助けを求めているのに…、
黙殺されてしまう悲しみは、どれほど深いものでしょうか。
そこに、網の目のように繋がり合っている自分を見失った社会の…、
寒々とした現実が、露呈しているのではないでしょうか。
昔の親なら、自分の子供がよその子を、苛めているのを知ったら…、
決して見逃しはしなかったでしょう。
厳しく叱り、子供を連れて相手の家に…、
頭を下げに行くくらいの事は、必ずしたと思います。
そう言う時代も、在ったのですが、大人がいつの間にか…、
自分さえよければ、と言う考えが多くなり全てが、歯車が狂って来たのです。
早く良き時代を取り戻したいですね。
合掌。