339件のひとこと日記があります。
2013/06/14 00:10
念じるとは、今の心と書きます。今の心が清んでいないと、いくら念じても、ダメです。
皆さん、今晩は〜(^O^)v
今日も一日お疲れさまでした。m(__)m
ちよちゃん、ニーベルンゲンの歌さん、うさびっちさん、ABUさん、クリスタルさん、のら☆さん、あきこさん、もっこりんさん、リモーナさん、てんちんさん、バビル二世さん、凛々†さん、いいね!や、コメントありがとうございました。m(__)m
感謝しています。m(__)m
本当に、凛々†さんお久し振りです。m(__)m
お友達の、皆さんも、忘れないでいてくれてありがとうございます。m(__)m
mr.miracleは、幸せもんです。m(__)m
お友達でない人も、お友達申請して頂けたら、喜んでお友達に、ならせて頂きますので、どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m
あるキリスト教の神学者はこう話されています。
病気が治りますように…、
仕事が上手く行きますように…、
試験に合格しますように…、
と、言った事は祈ってもいいし、人間として当然な願いです。
しかし、最終的には、やはり神の御心に任せるのが本当の祈りです。
イエス*キリストが、磔(はりつけ)になる前に、ゲツセマネで祈ったように…、
どうかこの苦しみ、受難を出来る事なら免れさせて下さい…、
しかし、私の思い通りにではなく、父なる神の思(おぼ)し召(め)しの通りになりますように…、
と、言うのが祈り方の規範ではないでしょうか…。
帰依する神仏に全てをお任せいたします…、
と、言うこの姿こそ究極の祈りだと言えます。
しかし、神仏への祈りで、心の安らぎを得る人もいます。
祈り方には、いろいろな姿があっていいのだと思います。
神仏はどの祈り方をお聞きとどけになり…、
どんな祈り方だとお聞き入れ下さらない…、
と、言った差別をなさるとは思いません。
ただ私達は、祈りに際して、自分の今の心がどのようなものであるか、よ〜く見つめる事が必要です。
『念ずる』
の念と言う字は、
「今の心」
と書き、自分の今の心が教えから…、
遠く離れた所で、念じても、神仏に願いが届くはずがありません。
念とは『心にかけて願う』と言う意味ですが…、
『維摩経(ゆいまきょう)』では、念とは、
『心の思いを正す事』
と、説かれています。
これを精神医学では『心の煙突掃除』と言うそうです。
掃除もしない、心のままで念じたのでは、何の意味もない事が、分かって頂けるのではないでしょうか。
そうですね、醜い心で、いくらお祈りしても神仏に、願いが届く訳がありませんね。
やはり心を清浄し、真心でお祈りをしたいですね。
最後に、自分の心を磨くのは、職場でも、友達の寄った場でも出来ます。
今、貴方がいてるその場が道場なのです。
いつ、どこでも、心は、磨けます。
合掌。
皆さん、おやすみなさい(-.-)Zzz…
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