339件のひとこと日記があります。
2013/06/15 14:42
皆が恐怖に駆られたその時、車掌が自分の体をバスの下に入れて、そのバスを止めた。
ずいぶん昔の事になるが、臨済宗妙心寺派管長の山田無文(ムモン)老師が…、
長崎に招かれた時、聞かれた話をある雑誌に、書かれていた。
それは長崎にある鬼塚地蔵尊のいわれについての話だった。
終戦後まもない頃の事…当時、町を走るバスの燃料は、ガソリンではなく木炭だった。
馬力は出ないし、すぐにエンストを起こす。
その木炭バスが、長崎の峠道にさしかかった所で、案の定エンストを起こし、止まってしまった。
しかも、ブレーキがきかずバスは、少しずつ後ろに下がって行く。
若い車掌がバスから飛び降り、車輪に石をかませて、止めようとするのだが…、
あいにく丁度よい、大きさの石が見つからない。
バスはどんどんバックし、このままでは、乗客もろとも崖から落ちてしまう。
皆が恐怖に駆られたその時、車掌が自分の体をバスの下に入れて、そのバスを止めたのだ。
それが鬼塚と言う車掌さんだった。
この若者の、我が身を挺する、犠牲によって、乗客全員が救われたのだった。
今も、時津町元村郷には、鬼塚地蔵尊が祀られていると言う。
山田無文老師は、この話を紹介しながら、人間一人一人の心に、
自性清浄心『仏性』と言うものが、ある事を述べられていたのです。
昭和22年9月1日鬼塚さんは21歳の若さだったそうです。
素晴らしいお話ですね…。
鬼塚さんに人間とは、どう生きるべきか教えられた気がします。
人様の為にお役に立たせて頂く。
本当に自己中心の多い、現在の人に読んで頂きたいお話です。m(__)m
鬼塚(道男)地域尊の碑文には…、
鬼塚道男君ハ、昭和ニ十ニ年九月一日朝、
長崎市打坂付近ノ坂上ニ於テ、
木炭バスが故障シ断崖ニ転落セントスルヤ
咄嗟(とっさ)ニ車体ノ下ニ挺身以テ大惨事ヲクイトメ
自ラ乗客三十有余ノ生命ニ代ワリテ散華(さんげ)セリ享年ニ十一才
君ハ性温良至醇(しじゅん)ソノ孝心ノ厚キハ社内コレヲ周知セリ(中略)
己ノ身ヲ殺シテ仁ヲ成シタ彼ノタメニココニ小碑を建テテ慰メルモノデアル云々と書かれていた。
寂しい戦争が終わり、平和な、日本の新たな旅立ちに…、
若い彼も胸を膨らませていたに違いない。
にもかかわらず彼は、乗客の命を救う為に、これからと言う己の人生を捨て、
かけがえのない命を、投げ出したのだった。
しかし、往時茫茫(おうじぼうぼう)として、もはやその青年の、行為を知る人は少ない。
それどころか、通行人を轢いたあげく数百メートルも引きずり…、
そのまま、逃走しょうとする事件が頻発している。
鬼塚道男地域尊は、きっと泣いておられるに違いありません。
当時は国の為…、
天皇陛下の為…、
家族の為に…、
と、命を捨てて逝った人ばかりだったから、
その大和魂が、鬼塚道男さんの、行動になったのだと思います。
本当に、頭下がる思いで一杯です。
今は自分さえ良ければ、いいと言う時代だから…、
鬼塚さんの勇気ある行動は、本当に一人一人、胆に銘じておかなければいけないと思います。
合掌。