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2013/06/23 12:06
親は子供によって教えられ成長して行くんだと思います親だからと言って威張ってはダメ
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竹村欣三先生に一通の手紙が届きました。
『佼成会では、導きの親と言う言葉を使っているが、納得できない』と言うのだ。
要するに、信仰の世界なのに『親』と呼ばせて…、
上下関係を作り、威張るとは、とんでもないと言うわけだ。
佼成会で、導きの親と言うのは…、
お導きをした人を、我が子を思う、親の気持ちで、面倒みる事であります。
又、親と言うものは、子供によって逆に教えられ、育てられるものなのです。
子を持って知る、親の恩と言う事もある。
導きの親は、そう言う意味の親なのだが、その質問を寄せられた方は…、
叱りつけ威張る、親のように誤解されたようです。
作家山田太一氏は、日本の民族学を…、
『これからの生き方、死に方』と言う著者で紹介されています。
昔の村には、こんな風習があった。
子供が生まれると、当然生みの親がいる。
そして、分娩時に赤ちゃんを取り上げた、いわゆる取り上げの親がいる。
それに、名付け親と言うのもいる。
又、縁起上、厄日とされている日に生まれた子供の場合は…、
一度捨てる習わしがあった。
勿論、捨てる真似事をするだけで、そうして捨てた子供を又、拾って戻ってくる。
その、拾ってきた人を、拾い親と呼ぶのだそうです。
さらに、腹帯をくれた人の事だと思うが、帯の親と言うのもあると言われます。
このように、小さな村に一人の子供が生まれると…、
何々親、と言う親が沢山できるわけだ。
そこで、山田太一氏は、嘘でも親と名付けられれば…、
その子供が、道を歩いていれば、気になるはずだ。
と言うのだ。
当然だろう。
確かに、子供の両親でなくても、その子供に関心を持つし…、
道で、出会えば声の一つもかけたくなる。
何々の親だ、などと昔の人はなんと大仰な…、
と、言いたくなるが、今のように社会が、砂漠化し人間関係がギスギスしてくると…、
何々の親と、呼んで繋がりを大切にした、昔の人達の共生の知恵に…、
改めて感心するのは、私だけと違うと思います。
子供にとって、自分が無視される事ほど、辛い事はありません。
そんな時に、声をかけてくれる人や、関心を寄せてくれる人がいる事程…、
くじけそうな、心の支えとなり、励ましにもなるものはない。
本会で言う、導きの親とは、そう言う存在と、言っても過言ではない。
合掌。( ̄人 ̄)