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2013/06/28 22:51
感性豊かな優しい孫のお陰で、季節の頼りも、より敏感に感じられるようになりました。
『小さな文通相手』和田明子62歳
私には、週に一・二回手紙をやりとりする、可愛い孫の舞(6)がいます。
一昨年の11月頃、文字を覚え始めた舞が手紙を書き、
郵便配達員の方に『おばあちゃんに届けて』と頼んだのだそうです。
それを見た娘の真理子(33)が、
実際に私と、文通できるように、取り計らってくれたのです。
文通を始めてまもなく、私は近所の方に絵手紙の描き方を習い、
季節に咲く、庭の花を描いて、送るようになりました。
舞が待っていると思うと自然と筆もふるい、
これまでに送った枚数は、九十枚を越えました。
舞からも、リンゴやドングリの絵などが、描かれた楽しいはがきが届きます。
感性の豊かな、優しい孫のお陰で、自然からの季節の頼りも、
より敏感に、感じられるようになりました。
次は、何を書こうかと考えながら、いつも楽しい時間を、過ごさせて頂いています。
と、言うお便りでしたが、真理子お母さんが、見事な架け橋になりましたね。
真理子お母さんに合掌です。
続いては、長澤佑果(15)さんの便りで『いのち』です。
中学校に入って気付いた事は、周囲の人達が、
『死ね』という言葉を、平気で使っている事です。
命は、奇跡のようなものだと、思っている私は、その事をとても悲しく思います。
私は幼稚園の時、妹を亡くしました。
本当はその時、母と妹両方助からないと、
医者は言ったのですが、母だけは助かりました。
そして、生まれたばかりの妹は、生後二十時間と言う、短い人生を終えたのです。
命は、多くの奇跡によって誕生し、生かされていると私は思います。
一つ一つが尊く、軽いものは一つもないのです。
もし、私たちの先祖が、誰か一人でもいなかったら、
今の自分は、永遠に生まれなかったのだと考えると、
この世に存在する命は、かけがえのないものだと言う事が、
命を軽視しがちな、現在の人達にも、わかるのではないかと思います。
佑果さんは、妹の死で命の尊さを、幼い時期に、身をもって経験したのですね。
15歳になった今、妹の分まで、しっかりと生きているのですね。
これからも頑張って下さいね。
合掌。( ̄人 ̄)