339件のひとこと日記があります。
2013/09/08 10:06
父は何事も『一生懸命にやれ』でないとせっかくの時間もチャンスも勿体無い!!
皆さんおはようございます。
今日も一日、明るく、楽しく、元気に…、
皆さんにとって素晴らしい一日となりますように…。
合掌。( ̄人 ̄)
前回も沢山のいいね&コメント&メッセージ頂きありがとうございました。
m(__)m
一人ひとりに、リコメ出来なくて申し訳ありません。m(__)m
感謝しています。m(__)m
『忘れられない…父・母の一言』
野村恵子(58)さんの手記です。
私が生まれたのは、戦後まもない時代。
もの心ついた頃もまだ、食料などの物資は乏しかった。
戦争の爪あとは人々の暮らしに影を落としていました。
そうしたなか、両親は兄と姉、私と弟の四人きょうだいを育ててくれました。
その両親の思い出としてよく覚えているのは、いつも人様に布施をしてる姿です。
子供の頃、学校から帰るとお勝手に、
旨そうなふかし芋が湯気をあげてザルに積んでありました。
ちらし寿司が大皿に盛られている事もありました。
育ち盛りの私は、今すぐにもそれをほおばりたい思いを押さえました。
《今夜はお腹一杯ご飯が食べられる》
そんな時、決まって父や母が、あそこの家はお父さんが戦争で亡くなり大変なんだよ。
せっかくいいものが手に入ったからお分けしょう。
惜しげもなくご馳走の殆んどをいえ、時には丸ごとさしあげる事がよくあったのです。
そんな時、私達きょうだいは心底がっかりしました。
でも家族でいつも通りの質素な食事を囲みながら、
『喜んでもらえたね』
と、話す両親の嬉しそうな顔を見ていると、子供ながらにいい事してるんだと思いました。
又、母は暮らしが苦しい家の友達が遊びに来ると、
よく美味しそうな玉子丼を作ってもてなしてくれました。
玉子と言えば当時は贅沢品で、口に入る事などないものでした。
その玉子を一個丸ごと使った丼を友達は目をみはっていました。
そんな両親を見て誇らしく思い、尊敬する心が育っていきました。
中学一年生の秋の事、私は体育祭の応援団員に選ばれました。
上級生達に囲まれると気おくれし、声を出すのも恥ずかしく、いつもモジモジしていました。
ある夜父は何事も一生懸命にやれ。
でないとせっかくの時間もチャンスも勿体無い!!
誰よりも尊敬する父の言葉です。
翌日から私は、気を引き締め体育祭当日には無事応援団の役をまっとうしました。
父も嬉しそうに私の姿を見守ってくれたのです。
『何事も一生懸命にやれ』この言葉は…、
《尊敬する父や母に恥ずかしくない自分でいたい》
そんな思いで日々の自分のありようを見つめる私の指針です。
以上です。
ミラクルの、父親もそんな父親でした。
尊敬できる父親でしたし、みんなからも尊敬されていました。
(^_^;)
合掌。( ̄人 ̄)
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すずさんがいいね!と言っています。
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じんのんさん
こんばんは_(._.)_
日記に何時もお越し頂き
ありがとうございますm(__)m
私が亡き父に教わった事…
元々口数の少ない父だったので
言葉として教わった事は
何もありません。
ただ、
顧客様の為
従業員の為
そして家族の為
一生懸命に仕事をする姿だけです。
でも、食事は必ず家族揃って!が
鉄則でした(^^)
もう顔も声も忘れる位の
年月が過ぎましたが
大好きで自慢の父です(^-^) -
セブンスターさん
素晴らしいお話ありがとうございました
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青色天使さん
おはようございます。
いいね♪ありがとうございます。
私の父は器用な人で
なんでもできるのでスゴいなぁ…
って思います。
先日も自転車のタイヤを
全部取り替えてくれて、
まるで自転車屋さんのようでした。
ありがたい事です。 -
マリブーさん
シリアの事について一声お願い致します
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マリブーさんがいいね!と言っています。
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バビル二世さんがいいね!と言っています。
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こぶたさんがいいね!と言っています。
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たかさんさんがいいね!と言っています。
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YHDさん
晩わ〜、
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今の世の中わ
べんり過ぎナンかなぁ~、
心の病が多々で、
また違う接し方もあるね
難しくなってるなぁ~、
感じたかな
ヽ(´o`;