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2013/12/07 11:27

『結婚から離婚へ』二人の子供を授かるまでは幸せな結婚生活だった。しかし…

皆さんこんにちは〜(^O^)v


お元気ですか〜
(^O^)v


今日の日記は、吉田悦子(57)さんのお話です。


『結婚から離婚へ』


長男の潤一(34)さん、二男の晋也(31)さんを授かるまでは幸せな結婚生活だった。


しかし、晋也さんが生まれる1年ほど前から、職を転々とし始めた夫は、二男が誕生してまもなく蒸発。


悔しさと苦しさから、夫の洋服をハサミでズタズタに裂く事もあった。


パートに出るようになり、仕事と家事、子育てに追われる生活が始まった。


小学校に入ったばかりの長男の潤一さんは母親に代わり、弟の面倒を見、家事を手伝う優しい子だった。


しかし、中学校になると周りの家と比べ『うちは欲しい物もろくに買えない』と、貧しさに不満をもらすようになった。


高校3年生の時に、腎臓病にかかった潤一さんは、貧しさから満足な治療が受けられなかった。


高校を卒業しても進路は決まらず、体の具合を悪くして2年間、家で療養した。


その間に大学進学を希望し、翌年入学。


『お金がかかるから…』と、自分の希望した高校、大学に行けなかった不満や、丈夫でない体へのいら立ちなどが蓄積し、ある晩、ついに押し込められていたものが爆発した。


『長男の不満』


夜、吉田さんが仕事から帰り、疲れた体を横たえると、潤一さんが枕元に座るなり怒鳴り始めた。


『アンタが離婚なんかするから、俺は少しも自分の思うように出来なかった。俺の青春を返せ!』


『自分一人が苦労してきたかのように、綺麗事を言いやがって、何でも思う通りになると思ったら大間違いだ!!』


激しい潤一さんの怒りに、吉田さんはうつむいた。


《私だって、生活する為に必死で働いているのよ。


私だけが悪いんじゃない。


父親にも責任はあるのに、私だけ責めないで!!》


吉田さんは、叫び出したくなる苦い思いを必死にかみ殺した。


しかし、潤一さんの怒りは毎晩続いた。


耐えられなくなった吉田さんが求めたものは、なかなか足を運ばなかった教会道場だった。


教会に行き、大法座で打ち明けた。


『息子さんの言葉にとらわれずに、息子さんの心の奥を見つけていきましょう』


と、教会長の指導を受ける度に『この子は何を思って言っているのだろうか』と、潤一さんの本心を知ろうと努めた。


しかし、『ごめんなさい』と謝ろうとも、潤一さんの怒りは収まらない。


怒鳴られてるうちに、吉田さんにある思いがわき起こった。


《私は幼い頃、児童養護施設で育ち、親から愛情をもらってこなかった。


そんな私だから、子どもを愛せないんだ。


私が悪いんじゃない。》


その思いが吉田さんの心を閉ざさせ、やがて


《もう誰も私の事をわかってくれない。


ご指導もいらない。


何も教えて欲しくない。》


と、支部長たちをかたくなに拒むようになっていった。


『母との絆』


長男の怒りに耐え続けた一昨年の2月、吉田さんは体調を崩し会社を休んだ。


病院に行っても原因がわからない。


潤一さんから逃れようと入院を求めたが断られた。


自然と教会に向かって歩いていた。


《ご指導なんていらないのに…》


それでも教会に足を踏み入れると、支部長が心配した表情で声をかけてきた。


『吉田さん、大丈夫?』


支部長は『教会長さんにお話を聞いて頂きましょう』と教会長さんの元へ吉田さんを連れて行った。


吉田さんは、教会長に苦しかった自分の体験、思いを全て吐き出した。


親の話にも触れた。


母*寿子さん(享年51)は、吉田さんの出産と同時に結核にかかり、すぐ入院する事になった。


続きます。m(__)m

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