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2019/04/17 21:55
(平成回顧)〇外
「〇外ゆえにクラシックに出られない悔しさをエリザベス女王杯に向けて、今、始動いたします。」と1994年のローズステークスの実況のフレーズでした。
平成初期の〇外は、とても強かった。この実況のヒロインのヒシアマゾン、タイキシャトル、アグネスワールド、エルコンドルパサー、グラスワンダーなどなど。
しかし、彼らに与えられた日本での出走のチャンスは、とても少なかった。そうなんです。出られるレースが限られていたんです。日本競馬の基幹・八大競争で〇外が出られるのは、有馬記念のみです。だからドラマが生まれるんですよね。
当時、エルコンやグラスが好きだ!と言うと、どうも〇外嫌いな友達が多く、
「日本馬を応援しろ!」とか、「お前はすかした奴だ!」とかよくイジメられました。
それも今では良い思い出かな(苦笑)。
昭和の〇外と言えばマルゼンスキーですね。
ダービーに出られない悔しさが現れている陣営のお言葉です。
「日本ダービーに出させてほしい。枠順は大外でいい。他の馬の邪魔は一切しない。賞金もいらない。この馬の能力を確かめるだけでいい」
この言葉を聞くと泣けてきますね。
こんな時代が平成まで続いていました。開国気運が少しづつ出てきた中、エルコンドルパサーがフランス遠征をしましたね。
そこで、ヨーロッパの競馬関係者が「こんなに強い馬が、自国のダービーに出られないとはどういうことだい!?。」と。
そんな雰囲気で、クラシックや天皇賞への〇外の門戸開放が、少し早くなったと言われています。
サンデーサイレンス産駒が出る以前の競馬は、不思議なことが多かったですね。
今では□外も出走できる八大競走。本当に時代でした。
最後にトライアル・ローズステークを勝ったヒシアマゾン。エリザベス女王杯は、クラシックではないので、〇外が出られたんですよね。ご承知の通り、1994年のエリザベス女王杯は、オークスの女王チョウカイキャロルと〇外の女王ヒシアマゾンのたたき合いでした。そしてヒシアマゾンに勝利の女神が微笑みました。エリザベス女王杯のドキドキ感を今でも覚えています。
しかし遠いアメリカから、そんな思い出の馬の訃報を聞き、落胆しています。
ヒシアマゾンは、ドバイでお星さまになってしまった姉貴分のホクトベガの分まで長生きしたんじゃないかと思います。
楽しかった日々に感謝をして、ご冥福をお祈りいたします。
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昔は、どの馬の子が走るんだろう!?と、予想のしがいがありましたね。調教技術が上がったんでしょうね。優秀な繁殖牝馬から、優秀な競走馬が、コンスタントに出るようになりましたね。 -
広瀬北斗さん
日本生産馬の実力がまざまざと分かる事実で,今でこそ競走成績の良い牝馬から良い産駒が生まれますが,かつては優駿牝馬の直子で走った居ませんでしたからね…
トニービン×ダイナカール,画期的でした! -
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最近は、懐かしさに浸ることが多くなりました。年を取りましたかね。平成も終わりなので、どっぷり浸りたいと思います。 -
バンバ・ラルさん
元祖「女傑」。子は走らなかったけど今もケイティーズの血統の馬を見つけるとヒシアマゾンを思い出します。
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